漢院中国語学校 中国文化講座~粽子~
ɡōnɡyuánqián340nián,
公 元 前 340年 ,
àiɡuóshīrén、chǔɡuódàifuqūyuán,
爱国 诗 人 、楚 国 大 夫屈原 ,
miànlínwánɡɡuózhītònɡ,
面 临 亡 国 之 痛 ,
yúwǔyuèwǔrì,bēifèndìhuáibàodàshítóuɡǔluójiānɡ。
于五月 五日,悲 愤 地怀 抱大石 投 汩罗 江 。
wèilebùshǐyúxiāsǔnshānɡtādeqūtǐ,
为 了不使 鱼虾 损 伤 他的躯体,
rénmenfēnfēnbǎzhútǒnɡzhuānɡmǐtóurùjiānɡzhōnɡ,
人 们 纷 纷 把竹筒装米投入江中 ,
yǐnyúxiāláishí。yǐhòu,
引 鱼虾 来 食 。以后 ,
wèilebiǎoshìduìqūyuándechónɡjìnɡhéhuáiniàn,
为了表示对 屈原的崇敬和怀念,
měidàozhèyìtiān,rénmenbiànzhútǒnɡzhuānɡmǐ,
每 到 这 一天 ,人 们 便竹筒 装 米,
tóurùjìdiàn,zhèjiùshìwǒɡuózuìzǎodezònɡzi
投 入祭奠 ,这 就 是 我国最 早 的粽 子
端午の日にはちまきを食べる風習もある。ちまきを食べるのは、中国戦国時代の楚の詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)にちまきを投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしたものがちまきの由来とされる。